TOP

LOGO336

 
parute

わかば眼科は、東武伊勢崎線、北越谷駅東口、
駅前の大きな高層ビル(パルテきたこし)の3階にあります
バリアフリーのビルですので、車イスの方でもご便利です

診察時間 休診日

休診日 日曜 水曜 祝日

 

診察時間 午前10時〜午後1時
午後3時〜午後7時(土曜午後は2時〜4時)


臨時休診のお知らせ

12月28日から1月4日まで休診となります

 


      

 


越谷市 北越谷駅前 わかば眼科
電話番号 048-970-1658

 

TOPへ戻る mini_logo

わかば眼科地図

詳細地図

広域地図

TOPへ戻る
mini_logo

院長からのご挨拶

院長からのご挨拶

●院長経歴
東北大学医学部卒業後、内科医として3年間の初期研修を経験 その後、
東北大学医学部眼科学教室へ入局、大学病院や関連病院等へ勤務ののち、
平成14年5月わかば眼科を開設 日本眼科学会会員

●診察内容
視力検査 眼鏡コンタクトレンズ処方 結膜炎等の眼感染症
花粉症 白内障 緑内障 糖尿病、高血圧による眼底疾患

●診療方針
糖尿病や高血圧のように、目に悪影響を及ぼす病気も少なくありません
眼科疾患だけではなく、生活習慣病にも注意を払いながら、
眼科診療に当たりたいと考えています。
病気に関することならなんでも気軽に相談できるような、
身近な診療所を目指したいと願っています。
これまでの診療経験を生かし、地域の皆様のお役に立てる診療所になれるよう,
誠心誠意努力していきたいと思います。
みなさまのご意見ご指導をお待ちしております。




TOPへ戻る
mini_logo

駐車場

駐車場のご案内

お車の方は、パルテきたこしの駐車場をご利用ください。
(ワゴン車、オフロード車も駐車可能です。) 

診察を受けた方に30分間分、
治療費が1000円以上の方には1時間分のサービス券を差し上げています。

駐車券をご提示の上、お受け取りください。

(なお、10分間以内であれば、無料で出庫できます)

越谷市 北越谷駅前 わかば眼科


TOPへ戻る
mini_logo

コンタクトレンズ価格表

わかばコンタクト(わかば眼科併設)
コンタクトレンズ価格表
(税込)
わかばコンタクトは、北越谷駅東口 
わかば眼科に併設されたコンタクトレンズ店です
処方の際は医師の診察が必要となりますので保険証をご持参下さい
メニコン、ジョンソン&ジョンソン ボシュロム アルコン等のコンタクトレンズ製造業者の製品を取り扱っています
 


★使い捨てコンタクトレンズ










1日使い捨て (1箱30枚入)
バイオトゥルーワンデー特別価格
ワンデーアキュビューモイスト2500円
ワンデーアキュビューオアシス3000円
デイリーズトータルワン3000円
ワンデーアキュビューディファインモイスト3000円
ワンデーアキュビューモイスト乱視用3800円
メダリストワンデープラス乱視用3800円







2週間使い捨て (1箱6枚入)
アクアロックス特別価格
アキュビューオアシス2500円
エアオプティクスハイドラグライド2500円
2ウイークアキュビューディファイン3800円

乱視用2週間 (1箱6枚入)
メダリスト66トーリック3800円
オアシス乱視用3800円
★ハードレンズ(1枚)
メニコンEX 9800円
メニコンZ13800円
★ソフトレンズ(1枚)
メニコンソフトS12800円
メニコンソフト7214800円
ソフト72トーリック17800円
★メニコンメルスプラン メルスプランについては、メニコンメルスプランHPへ


TOPへ戻る
mini_logo

スタッフ

常勤5人、非常勤2人の職員が働いています


TOPへ戻る
mini_logo

混雑予想図

混雑予想図です 待ち時間の参考にしてください
○ 比較的、空いている
△ 込んでいることもある
× 少し込んでいる







  
午前10時〜午後1時×
       
午後 3時〜午後5時
午後 5時〜午後7時×× 

         (※土曜午後は2時〜4時)


月末の夕方や土曜日は、込み合うことがあるようです
3月は花粉症のために、5月、6月は学校検診のため、
待ち時間が少し長くなるかもしれません






TOPへ戻る
mini_logo


目の病気

目の病気について解説しています

参天製薬HP“目の健康”へ






TOPへ戻る
mini_logo

目の検査

視力検査
遠くを見る時の視力と、手元を見る時の視力とがあります

眼圧検査
目の硬さを測る検査です 緑内障では眼圧が高くなります 21mmHg以下が正常と言われています

眼底検査
目の奥の病気を調べる検査です 瞳を広げる薬を使って検査するので、検査そのものは30分程度で終わりますが、検査の後、4〜5時間はピンぼけになって、まぶしく感じます その間は車の運転などは控えていただいた方が安全です 眼底検査をご希望の場合は、電車やバスなどでおこし下さい

視野検査
視野(物の見える範囲)を調べる検査です 緑内障や、頭の中の病気で視野が欠けることがあります

涙液分泌機能検査
涙の量を調べる検査です ドライアイかどうかを調べます

通水検査
目から鼻の奥に繋がっている鼻涙管という管がつまっていないか調べる検査です 清潔な水で洗うことにもなるので、検査そのものが治療を兼ねています

色覚検査
色覚異常の検査です どの色の区別がつきにくいか、またその程度を調べます

調節麻痺後屈折検査
近視や遠視の程度を精密に調べます 強い遠視や調節痙攣が疑われる時に行います 検査そのものは1時間程度で終わりますが、検査の後、丸1日ピンぼけになって、まぶしく感じます 検査当日や翌日に、学校や外出の予定の無い時に行った方がよいでしょう

両眼視機能検査
物が立体的に見えているかどうかを調べます




TOPへ戻る
mini_logo

院長経歴

 院長の私、若林は秩父郡の横瀬村(現在は横瀬町)に生まれ育ちました。父は学歴がなかったので、出世はしませんでしたが、秩父地方では唯一大企業と呼べる秩父セメント(現太平洋セメント)に勤務していました。当時の秩父地方における平均的な所得があったと思うのですが、質素倹約を旨とする両親の元で育てられたため、私の半生はたいへん質素なものとなりました。今回は、その質素な体験を綴ってみたいと思います。令和の視点からみると、俄に信じ難いかもしれませんが、すべて実話です。

 私を産んだ後で母は気管支喘息が悪化し、慈恵医大病院に入院しました。個室に入れられたために差額ベット代が払えず、治ったわけでもないのに、退院して帰って来たことがあったそうです。全く記憶に無いのですが、幼かった私は親戚に預けられていました。おそらくこの時、贅沢は敵だという観念が私に深く刷り込まれたのではないかと思います。

 小学校の頃、プールや川に泳ぎに行く時、ジュースを飲んだりおやつを食べたりすることは一切なく、いつも水道水を飲んでいました。学校には一銭も持たずに通ったので、買い食いはしたくてもできません。小学4年生の頃、金庫のようにダイヤルでロックできる筆箱が流行したことがありました。クラスの男子のほとんどが持っていて、私も欲しかったのですが、きっとダメだと言われるだろうと諦めていました。冬に行われる秩父夜祭りには、オートバイで曲芸をしてみせる見世物小屋が毎年やって来るのですが、一度も入ったことはありませんでした。もちろん入ってみたかったのですが、どうせダメだと言われるのがわかっていたので、入りたいとねだったことすらありませんでした。兄や姉にはこのように我慢する傾向がなく、どうして私だけ辛抱強くなったのか不思議でなりません。

 私が中学生だった頃の秩父地方には、塾などといった気の利いたものは無く、私は塾通いをしたことがありません。定期試験の前日に、チラシの裏に自分で一問一答集を書いて覚えるということが、中学時代の唯一の勉強法でした。地方の公立高校に進学するには、それで充分だったのです。熊谷高校に入学して自分が全国レベルより著しく劣ることを知り、初めて勉強らしい勉強をするようになりました。それまで受験勉強の経験がなかった私は効率的な勉強の仕方がよくわからず、今から思うと随分と無駄な努力をしました。猛勉強も空しく現役合格に失敗、駿台予備校で1年浪人することになります。駿台の授業料が1年間で30万円、私の生涯で最も学費がかかった1年となりました。秩父から市ヶ谷まで片道2時間半かけて通学しました。

 努力の甲斐あって東北大学に合格、1学年120人中、出身地が市や町でなく、村出身だったのは私ひとりだけです。元々学費は安かったのですが、父が定年退職したため4年目からは授業料免除になりました。アパート代を惜しんだ私は、迷わず6年間寮生活を選択しました。教養部時代に入寮したのは、全学部の学生が入寮できる有朋寮という学生寮です。靴を脱いで入るのが躊躇われるほど、汚い部屋でした。玄関もなく、土足のまま各部屋まで部外者が自由に出入りできる構造であるにもかかわらず、部屋に鍵をかける者はいませんでした。そもそも鍵をかけられる構造になっていなかったのです。友人達も負けず劣らず貧乏で、今でもはっきり覚えていますが、以下のような会話がかわされていました。文学部のE君「Y先輩は金遣いが荒いよ。だってコタツ板の汚れをティッシュで拭くんだぜ。」経済学部のS君と医学部の若林君「へえ~っ!」何に驚いているのか、みなさん、おそらく理解できないでしょうね。布巾のように再利用可能なものでなく、使い捨てのティッシュペーパーを使うのが贅沢だ、ということで、『金遣いが荒い』と評していたのです。全く呆れるほかありません。こんな学生でしたから、教養部時代は学内の喫茶店に行ったこともなければ、缶ジュースを飲んだこともありません。ビールは高いのでほとんど飲まず、安く酔えるウイスキーをいつも飲んでいました。

 学生食堂には10円サラダ、30円サラダ、100円サラダとあり、10円サラダはキャベツの千切りだけ、30円サラダにはトマトがつき、100円サラダともなるとゆで卵がついたようです。ついたようです、と曖昧な表現をするのは、どのサラダも一度も食べるたことがないので、詳しいことがわからないのです。本当にそんなに貧しかったのか?と今から思うと不思議な程なのですが、100円サラダを食べている学生を見ると、「あの人は家が金持ちなのかなあ」と当時は本気で思っていました。学生食堂で、ご注文は?と言われて、普通は親子丼とか焼肉定食などと注文するのですが、ご飯の大盛り、と答えるのは、恥ずかしくて我ながら情け無いと思っていました。10円や20円で買えるふりかけや納豆をおかずにしていたのです。

 学部に進学した私は昭和舎という医学部生だけの寮に住むことになりました。医科大学のような単科大学ではなく、総合大学なのに医学部生だけの寮があるのは珍しいのではないでしょうか。駐車場、食堂、風呂、洗濯機、宴会場、卓球場、テニスコート完備で大学まで徒歩5分という恵まれた環境で、数多くの大学教授を輩出した歴史と伝統のある寮なのですが、上下関係が厳しいのが敬遠されたのか、あまり人気がなく常に定員割れしていました。家賃が100円で食費は実費負担。3食賄いがついて月額2万円弱の寮費だったのですが、それでも滞納している寮生が大勢いました。私の貧乏話を話して聞かせたとき、家内が一番驚いたのが、この家賃100円です。電気容量の関係でコタツは厳禁、使える暖房器具は石油ストーブだけ。エアコンなどはもってのほか。電気ポットを何人かが同時に使うとブレーカーが落ちるという建物でした。すきま風が吹き込む老朽化した木造家屋で、コタツすら使えないのですから、その寒さは筆舌に尽くし難いものがあります。室外気温がもっと低いところは、他にいくらでもあるでしょうが、室内気温の低さで比較するならば、昭和舎は日本有数ではなかったでしょうか。昭和舎の友達がスキーに行くのをいつも見送っていたら、不憫に思われたのか、「若林も行く?」と誘われたことがありました。「やったことないし、道具も持ってないから」と断ったのですが、道具は貸してあげるから、と連れて行ってもらったことがあります。スキーウエアを持ってなかった私は、雨合羽を着てスキーしました。後にスキーウエアを買った時には、その快適さに感心したものです。中古車を買った先輩に「若林、いいだろ、ワイパーがついているから雨の日でも乗れるし、ヘッドライトがついているから、夜でも走れるんだぜ。」と冗談を言われたことがありましたが、冗談に見えないようなポンコツ車でした。私がテレビを買ったり喫茶店に入るようになったのは、研修先の病院の奨学金をもらうようになってからのことでした。

 私は医学生だったのに東医体や七帝戦に行ったことがありません。東医体は東日本の医学部の運動部の大会、七帝戦は旧七帝大の医学部の運動部の大会です。たいていの医学生は運動部に所属して、東医体などに参加した経験があるものなのです。もっとアルバイトをすれば、部費や遠征費用を捻出することもできたかもしれませんが、それだけの根性が私にはありませんでした。要するにヘタレだったということです。このように私の学生生活は、みじめなものでした。当時の角川文庫の宣伝文句「時間が無いんだ、青春は」をもじって「俺には無いんだ、青春は」などと呟いたりもしました。にもかかわらず、今こうして振り返ってみても、悲しい気持ちにはなりません。家内に貧乏体験を話す時も、嬉しそうに喋っていると言われます。バーゲンなどで、商品をいかに安く手に入れたかを自慢する人がいますが、それと同じ心境なのだと思います。安い学費で医者になれたことが嬉しくもあり、自慢でもあるのです。貧者だけが持つ喜びです。もしも人生をやり直せるとしたら、同じ道を歩みたいとは思いませんが、それでも決して無駄ではなかったと思います。テーブルにこぼれた醬油をティッシュで拭くたびに、「ティッシュでテーブルを拭けるんだから、俺もお金持ちになったよね。」などと笑えるのは、このような体験をしてきたからこそなのですから。

 



 

 

 

TOPへ戻る mini_logo